政治と宗教は今も昔も互いに” WinWinの関係”だというお話

バチカンは何百年もカトリックの信仰の中心です。
サン・ピエトロ大聖堂の中には美しいミケランジェロ作の「ピエタ」があります。
バチカンに行って、撮ってきた「ピエタ」の写真を見ていたら、ドナルド・トランプの支持者層はキリスト教の長老派の人たちというニュースが流れます。

色々と妄想してしまいました…。
そもそも、、この「イエス・キリスト」は何だったんだってね。

1世紀当時のユダヤ人?ガリラヤ人?と言われる「イエス・キリスト」。
貧しい大工の息子だったそうですが、、その彼が、30歳になるころには、人々に”布教”をはじめました。神の子であったからだそうです。。
神の王国の王となるのは自分であるという事らしいのです。
そして、貧しい人たちの救い主であると。。
布教を始めて三年半後、ユダヤの宗教指導者は、彼の信者が増えていくのを恐れて、彼らはイエスをローマ政府にチクって処刑させました。

「ピエタ像」、美しいマリアに亡くなったイエスが抱かれています。

ん~、私がこの時代に生きていたら、、どう思ったのでしょうね。
でも、私が思うには「イエスの教え」は今でいう新興宗教だったのではないでしょうか?
貧しい、救われないと感じる人にとって、この「イエスの教え」はものすごく魅力的な話に聞こえたと思います。
不安を募らせている人々に希望を持たせる話って効きますよね…。

そんでもって、、時代が過ぎて、その当時は迫害されても信者の数が増すとこれを利用する人が出てくる。
はい。ローマ帝国です。
多神教のローマがなぜ一神教の神を崇拝するようになったか?
ローマ自体が不安定になり、何かしら頼るものが必要だったのか、わかりませんが、とにかくこのキリスト教が皇帝にはヒットしたのでしょうね。
所説ありますが、結局は政治的に利用できたからではないでしょうか?

信者を丸っと政府側に持ってくることが出来ますものね。
統治に宗教は、昔も同じで支持者を増やすという常套手段だったのでしょうねぇ。

歴史の教科書にはキリスト教の黒い歴史が載っています。
載っていない黒い歴史を上げたらどうなってしまうのでしょう。罪深いですね~。
でも、、今も深く愛され続ける「ローマ教皇」なのであります。

ローマがキリスト教を国教としてしまったので、神に一番近い人間、つまり、教皇が偉くなってしまうのは目に見えています。。
沢山の信者という支持基盤を持った教皇には、その力を利用したい富豪たちがお金を武器に近づきます。もちろん支配層も利用しますよね。
支配力と財力が繋がるともう怖いものなしですよ。

おかげで教皇がコレクションした歴史の遺産やルネッサンスの巨匠の芸術を現在において堪能できることに感謝ですがね。

今の時代も財界に政治界と宗教界は切っても切れない強いきずなで結ばれていますね。
日本も、全く同じ。『政教分離』なんて、どこ吹く風です。

トランプはキリスト教の長老派。
娘夫婦はユダヤ教。
歴代アメリカ大統領もほとんどキリスト教。
ロックフェラーやロスチャイルドはキリスト教それともユダヤ教ですか?
とにかく歴史が証明していることは、宗教と財界、政治界はくっつく。

いわゆる、支配者層の『陰謀論』もみなさん好きですよね。
彼らは本当は「悪魔崇拝者」だという、さもオドロオドロした話がいっぱい。
事実、聖職者の悪さは中々のモノです。
だから私は、彼らが「私が信仰するのは、エバをたぶらかした、あの悪魔サタンです。」って言われても全然驚かないです。
むしろ、あ~そうじゃなきゃ出来ないでしょうよって思いますよ。
多分、彼らの理論的には「悪魔と契約済みだから、死んで地獄に行っても極楽さ~」ってな話が付いているのでしょうね。

単純に今世紀の歴史だけでも、武器売って戦争してきたし、それで儲けてきたでしょ。
株価も上がればもう、強欲満喫、倍々ゲームで資産増加です。
庶民の命の犠牲の上にね。
キリストの教えと真逆をやっちゃってる時点で、バレバレというか隠す必要なく完全に悪魔側でしょ。

人の不安を増幅させた上に、不安を解消して幸福にするとウソ言って、いいなりにさせ、出来るだけ寄付金と税金を搾り取らないとね。

でもね、、これ、本当にキリストが神の子なり神の使いであったなら、人々に救いがあるのか、、解ってたでしょうに・・・。
彼が生まれてから2000年以上、同じ歴史が繰り返されています。

もはや、キリストの教えなんてキリストの死後どれくらい守られたんでしょうか。
そもそも論ですが、イエス・キリストの布教活動たったの3年半。。
むしろ、その短い人生だったにも関わらず広まったってことは、、、どちらかというとそのお弟子さんたち。。12使徒の方が凄かったんですかね。
新約聖書は弟子と言われる人々が後にキリストについて書いたもので、本人が何か文書を残しているわけではありません。

イエス・キリストって何だったんでしょうか、、、
このカトリックの総本山に飾られた「ピエタ」像のイエスを見て何だか悲しくなりました。

結局は、イエスは、「ただの人間だった」ってのが本当の話なんじゃないでしょうか?
ただ、この人が残していったものが、この世界に与えている影響を考えると、あえて死を選んだという点で、人々の記憶に強く残された偉大な人だったのでしょう。
ローマという当時の巨大な帝国に利用され、キリスト教は世界に広まる波に乗れたって事だと思います。

ですが、純粋にキリストに「信仰」を持つ人もいるのでね…。それは言っちゃいけないですかね。
本当に信仰心を抱く人って、キリストの教えに敏感に反応するんだと思うんです。キリストの教えに反すると良心が働き、悪いことは出来ない。
その信仰と良心を否定する権利は誰にもありません。

残念ながら、政治家や宗教上の指導者に、この「良心や信仰心」なんてありません。彼らに追随している人たちにも。

とにかく何が言いたいかと申しますと、宗教家と資産家と政治家はウソをつこうが騙そうが、はたまた人を殺そうが、結局はその権力と財力を握りしめている限り、結局、許されるということ
誰もこれを裁くことが出来ない。
だから、仕方がないので裁いてくれる神様を待っている?
一周、回ってきた話になってしまいました。

宗教は歴史を見ると欲望に満ちた権力者が人々をコントロールする手段であり、利用法なのだと私は解釈しています。
だから、当然「神も悪魔」もないです。
それらは、人をうまく利用するための人間の悪知恵が作り上げてきたものだと考えています。

とどのつまり、、人は住んでるところ、かかわっている社会によって宗教と同じようなコントロール下に置かれてしまうんですけど、心の底まではコントロールされないように人生を送らなければと思うのです。

 

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